火曜日、定例MTG。その後、WS関係で電話。話している時に、知財として蓄積していない、結局、結構めんどくさい仕事ばかり残っていますねえ、という会話有り。
改めて考えてみると、近年、大学の知的財産を活用しよう、という声がけで、TLOとかIPCが有ったりするわけだけれども、国内ではあまりうまくいっているという話を聞かない。また、大学のIPCの評判もあまり良いとは言えない(相談には乗ってくれるけれど、営業をしてくれるわけではなく、むしろ提案者の方にライセンス化の計画を要求するとか、そうやって苦労して権利化、ビジネス化したものについて、ライセンス収入のかなりのパーセンテージの上前はしっかりはねる、とか)。
しかし、大学が本質的に持っている機能は、自由な学問研究を行うこと、教育による優れた人材を育成をすることであり、いわゆる知財を生産することではない。学問研究の結果として、知財の権利化が出来るではないか、というのがTLOの話なんだろうけれど、研究の結果として論文は出て、それで「知見」は蓄積するだろうけれど、独占的に利用することが前提の私財の一部である知財とは全く異なる性質であるように思える。
では、知財が本質的に備えている性質はどうなんだと考えてみると、次の2点が思いあたる。
・権利者が独占的に権利を保持していて、それのライセンスを受けることに経済的な意味があること
・単発、あるいはつながりが無いバラバラの状態ではなく、最終的なプロダクトにつながる権利を広くカバーするセットの状態であること
これらついて、前者はそもそも独占することと、学問研究の公表とが思想的に相容れないトレードオフの関係にある。後者について、学問研究、あるいは教育機関の立場としては、そのような最終的なプロダクトにまでつなげるモチベーションや、それを維持し続ける理由付けが存在しない、またはやっても大学としての評価はされないだろう。
いわゆる収益逓増型のビジネスモデルならば、これらの問題を乗り越えてうまくゆくじゃないか、という反論もありそうだけれども、どうやればそういう風にうまくやることができるのか分からない、というのが今のところの考え。
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