我慢と合理的思考
2009-01-11



最近、本当に我慢する機会が多くなりました。いろいろある我慢の中でも、感情の爆発を我慢するのが一番大変です。

絶対に暴発させるわけにはいかない、ということだけはわかっているつもりでも、しばしば危険水域に達してしまうのは、まだまだ未熟な人間である証拠ということなのでしょう。

そんなときに、(以前も書いた)山本五十六の言葉が一つの安全装置として働いてくれています。


     男の修行

 苦しいこともあるだろう。

 言い度いこともあるだろう。

 不満なこともあるだろう。

 腹の立つこともあるだろう。

 泣き度いこともあるだろう。

 これらをじっとこらえてゆくのが

 男の修行である。

***

合理主義者らしい言葉だと僕は思います。

現代日本においては、男に限らず女性もでしょうね。
さしずめ、大人の修行でしょうか。
[僕の考え]

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